何事にも躊躇なく挑戦する人が周りに一人や二人いないでしょうか。
それに比べて自分はどうか。
プラモデル作りたい、スキーやりたい、車にバックカメラ付けたい、ガーデニングやりたい、ピアノ弾けるようになりたい。。。
それらはいつやるのか?
連休があればやるのか?何回も正月やGWやお盆休みが来ましたが何にも実現していないのです。
心のブレーキがやりたいことをさせてくれないのです。
これって何故なのかな?と考えてみました。
それは生い立ちにあるのではないかと思いました。
人はそれぞれの家庭環境で育ちます。
もっと詳しく言うと、経済的に裕福な上流階級なのか、ごくごく一般的な裕福とは言えない中下流階級なのか。
上流階級の人はお金に余裕があるので、オモチャでもお小遣いでも糸目なく与えられて、あれ欲しい!と言うとすぐに手に入ります。
それに比べて中下流階級の人はお金に限りがあるので、我慢しなさい!と言われ抑制されます。
これが心のブレーキとなり、やりたいことをすぐにやらずに放っておくのです。これを「あきらめ癖」と言います。
もっと重症の人は、やりたいことが無いと言う人も少なくありません。サラリーマンを勤め上げ、定年後なにもする事が無いなんて言う人は多いですよね。
では中下流階級の人はどう育てられれば良かったのか?
よくある風景の例を出します。
ファミリー レストランで客の子供が走り回っています。どう思いますか?
「親はどういうしつけをしてるんだ!」とか、「自分なら叱りつけるけどな」とか思いませんか?
この感情こそが、中下流階級の考え方なのです。
他人に迷惑をかけてはいけないことが最優先で自分や家族の行動を抑制するのです。
その昔、江戸時代、もっと前の時代からでしょうか、お上や村の掟からはみ出すような行動を取ると、村八分になり生きてはいけなくなります。
その慣習が残っているのです。
逆に殿様の子供はどうでしょうか?
お守り(おもり)役がついて若君の言いなりです。
お守り役は何でも言うことを聞かなくてはいけません。
やがて大人になって、あれがしたいこうしたい、と言っても、周りが動いてくれます。
もしくはやりたいことをする為にどうすればいいのかを考えるようになります。
要するに「諦める」という選択肢が無いのです。
だからやりたいことをやる人を育てるには、行動を抑制するために叱りつけるのは良くありません。
では他人の迷惑は二の次ってことにするのか?
それは出来なくもないですが、少し難しいですね。
自分が親の立場ならどうするかというと、親が周りに謝ればいいのです。
でも決して子供を叱ってはいけません。
2008年くらいにテレビで「エジソンの母」というドラマが放映していました。
そのドラマの母親は決して子供に叱ったり怒ったりせず、周りの人に謝って回っていました。
子供には叱るどころか、「もっとやりたいことをやりなさい」と言います。すごいドラマだなと思いました。
将来、やりたいことをやれる人生を送れるような人に育てたいというのなら、殿様の様に育てるべきなのです。